唐人屋敷に残る赤煉瓦 [廃墟&近代化遺産]
一本路地を入るとそこは
異国の地
ズラリと並ぶ食材・・・
いや、ブタさんの置物
とっても金運UPになりそうな
豚さんたち
実際に食材になった
豚様はこちらでございます ↓
本物です・・・
(これはランタンフェスタの時しか見れません)
ここは長崎市の中華街
鎖国時代に唯一開かれた
貿易港である出島の近くに
唐人(中国)からの貿易商などが住んでいた
エリアがある
シンガポールやカナダのバンクーバに行った時にも
見たけど中国系の移民さん達は
集まって住んで
そのエリアを小さな自分の国のようにしてしまう気がします。
なのでそのエリアだけ中国にいるみたいで
とっても面白い。
この長崎でも孔子廟や
唐人が暮らしていたエリアが今でも
面影を残しています。
それでは・・・
バーーン!
「待たせたな」
廃墟ハンター響の登場だ。
まずは唐人屋敷があったエリアを
回ったときに一番先に目に付く
福建会館
江戸後期に発した
福建会館は今で言うコミュニティーセンターみたいな物で
福建省出身者たちが明治元年に建てた会議所だ。
が、しかし僕が登場した正門とこの天后堂を残し
原爆で倒壊してしまった。
明治30年に出来た
赤煉瓦の建物で
日本とは違う文化の香りがします
屋根の上の両脇には
おそらく青銅で出来ていると思われる
シャチホコ ↓
そして屋根の中央には
堂々とした五重塔が・・・
雨風にさらされた風合いが
とっても素敵です。
福建会館の道を挟んで向かい側には
赤煉瓦の囲いの天后堂があります。
元は南京地方の人々が
天后聖母を祀っていたのが始まりのようで
この建物は華僑の人々の寄付により
建てられたそうだ。
こちらの屋根の天辺は・・・
三角帽子
欄間を見ると見事な彫が入れられています
牡丹?
菊?
そして正面の梁には
象さんです。
仏教ですね。
天后堂を出て
少し坂を登ると観音堂の案内を
見つけた
この路地の奥にあるみたい
路地を入っていくと
僕の好きな石門が登場
その石のアーチをくぐると
観音堂です
小さな建物ですが
赤煉瓦の塊感のある
とってもバランスの良い建物でございます。
元は元文2年(1737年)に出来たようだが
その後消失して天明7年(1787年)に再建され
改装を重ねつつ現在に至る
中には観音菩薩と関帝が祀られているようで
しっかりお参りをしてきましたが
振り返るとあるはずの階段が無いので
落っこちるところでした。
回廊式だったのか?
観音堂を出て
素敵な路地を歩いていると
土神堂がありました。
日本庭園のような庭付きで
元は華僑の船頭たちが土神の石殿を建てたのが始まりですが
消失したり昭和25に老朽化にともない
当時の建物は無くなっちゃいます。
現在の建物は
長崎市が昭和52年に復元した物だ
土神堂から正門を見ると
八百屋が見えます。
まさに唐人達で賑わった街のど真ん中なのだ
長崎らしい坂の風景でもあるが
ここはちょっと日本とは違う
密集具合も
鎖国時代に決められたエリア内で
人工密度が高くなった名残の風景じゃないだろうか?
路地の中には最近は見なくなった・・・
お風呂屋さんだ
女湯と男湯は読めるけど
女湯側の
「萬年善徳為良範」は読めません。
多分、何時も良いことをして模範になりなさいって意味か?
男湯の方の「福禄寿三星在戸」は
多分、福岡の禄太郎さんが三ツ星ホテルに
泊ってメデタイと書いてるんでしょう・・・(チガウ!)
こうして唐人屋敷をグルッと簡単に回って
中華街へ
平日のまだ明るい時間なので
人影もまだまばらです。
適当に時間を潰して
何時も入る「江山楼」へお邪魔します。
普通は長崎のイメージとしては
ちゃんぽんだと思うのだけど
実は長崎の名物は皿うどんだと思っています。
この細いパリパリ麺は
他所で食べると口の中で刺さったりするけど
江山楼の皿うどんは大丈夫なんです。
そして焼ビーフン ↓
皿うどんの方を勧めます(笑)
んで、何時も気になっていた
江山楼のソース
ソースの「ス」って「酢」だったの?
で、まだまだ出ます
唐揚げ君 ↓
兎みたいな耳は
オカキですが
これってどうやって使うのでしょう?
普通に交互に食べたけど
それで良いとぉ?
はい、
食後のデザートはコレ ↓
「東坡肉」
もうこれ以上お腹に入りませんので
これでカンベンしてください。
長崎の唐人屋敷は
中華街の誘惑を避けては通れない。
空腹で行くならココ
石造りだった江尾発電所跡 [廃墟&近代化遺産]
中国地方で僕の好きな風景の中に
三瓶山と大山
そして、蒜山高原があります。
鳥取県から岡山県に入った山中に
広がる綺麗な高原地帯です。
北海道と気候が似ていると言われる蒜山高原は
下界は初夏でもここはまだ春です。
この蒜山高原と大山といった
素敵な場所からほど近い
鳥取県江府町で近代化遺産と出会いました。
スキー場も多い地方なので
水量も豊富な日野川に作られた
旧江尾発電所です。
もう使われていない水力発電所で
廃墟ですが廃墟もここまで見事だと・・・
土木学会推奨土木遺産となります。
この江尾発電所本館は
大正8年(1919年)に竣工し
米子市方面まで電力を供給していました。
昭和意52年(1977年)に新しいダムが出来て
水力発電の拠点が移ったため
この発電所はその変電所として余生を
送ることになります。
平成2年まで使っていましたが
その後地元の方の倉庫として使われていたが
土木遺産に認定されて
今は片付けられていて
中を覗くとガラ~~ンとしています。
ナンにもないね。
でも水力の動力源である
水を引き込む太いパイプを通す跡があります。
覗いてる窓ですが
これがまたカッコイイんだな
発電所にしておくにはもったいない感じがする
洋風なつくりです。
この窓を反対から見ると・・・
3連アーチかと思ったら
入口も含めて4連アーチでした。
事務室と書いていた大きな方の
棟の窓には大きなスズメバチの巣が
ぶら下がっています。
山地に囲まれたところなので
珍しくはないけど放棄された巣で良かったよ。
んじゃ、ふっといパイプが入っていた
発電所の裏側へ行って見よう
見ての通り
2本のパイプの水圧を使って
タービンを回していたようです。
導水管はもう撤去されてるようだけど
裏の山の斜面を見てみると
ちょびっとだけど痕跡は残ってるみたい。
木で見難いけど
隙間から導水管の横にある
階段が見えるよ。
もう自然と同化しつつあるね。
散策する気もうせるほど
草木で埋まっていますが
水力発電所だった痕跡見れたので
再び建物に目を移すと変電所か発電所当時の物でしょうが
電線の跡もあります。
分厚い石に穴を開けて通したようだ。
赤煉瓦の発電所は見るけど
石積みの発電所は九州の
沈堕発電所跡を見て以来なので
僕にとってはかなり貴重な出会いなのでありました。
旧江尾発電所跡から少し
北上すると
僕の大好きな大山があります。
深呼吸しましょ!
スキーのイメージが強い大山だけど
春の新緑のシーズンも良かねぇ~!
蒜山ジャージー牛も楽しめる
大自然に囲まれた中国地方の近代化遺産はココ
破竹だらけの高後崎砲台跡 [廃墟&近代化遺産]
長崎県佐世保
九十九島に程近い俵ヶ浦半島の
先っちょにT2さんと来ています。
門ですね。
停まってるカブは多分
海岸で魚釣りしてるおじさんのでしょう。
人んちの門なら入りませんが
そこは廃墟センサーがピロピロ鳴るところだ。
門の先は自衛隊の基地で行き止まりになっているので
誰も入らない道を
進んでいくと破竹の藪が凄くて
イノシシが掘った痕が沢山あるよ。
破竹の竹の子を掘ってるんだろうね。
歩いている道を外れると
周りはこんな竹藪です ↓
その竹薮から
石積みの塀のような物が見えてきた
ここが高後崎砲台の跡で
さっきの門はこの砲台の門で間違いなかったようだ。
うっそうとした竹薮の中に
入り込むと赤煉瓦の遺構が見えて来た。
何だろう?
形状から言って
弾薬庫じゃなくて
電気系の施設とか何かだったのかも
居住区かもしれないけど
わかんないです。
周囲を見渡すとこれは水場かな?
水槽があるのでトイレか?
その綺麗に積まれた石積みを辿っていくと
こんな穴が幾つかあったけど・・・
用途は不明
しかしかなり丁寧に作られた砲台ですよ。
でも砲台はゴミが多いです
粗大ゴミとかじゃ無くて
戦後に誰か住んでたんじゃないか?って
思うような古いゴミが多いような気がします。
更に奥へ行くと
ありました!
砲台と言えばこの形でしょう!
弾薬庫です。
この高後崎砲台は
明治31年(1898年)に佐世保鎮守府によって
造られた海岸に近い場所にある低地対艦砲台です。
佐世保湾の北側を守るように
飛び出た俵ヶ半島の一番先っちょにあって
半島に3ヶ所設置された砲台の一つです。
佐世保軍港を守るために造られましたが
どこの砲台と同じように使われることは
無かったようだね。
よくこの手の弾薬庫ではシメジを栽培したり
近所の農家の倉庫などになってるパターンが多いけど
ここは民家から離れているので
完全な廃墟状態だ。
破竹の勢いって言葉がある通り
破竹に埋もれている廃墟でした。
ホウダイで竹の子堀りホウダイって言うのはどうですか?
中を覗いた写真が無いとか言わないでね。
怖くなんか無いんですが
ほら、竹薮ってムカデとかが良く出るじゃない?
刺されたら痛いやん?
廃墟ハンティングは安全第一です。
で、肝心の砲台の台座は何処?
一度歩いてきた道に戻って海岸側を見ると
それらしき物がありました ↓
なんとなく丸い台座になってるような気がします。
窪んでる所は
完全に破竹の植木鉢状態なってる
そんなわけで
パンダを放したら喜びそうな
竹薮の砲台からでした。
凄い藪なので軽装では危険です。
バイク装備で肌の露出が無いので大丈夫でしたが。
足元も色々落ちてるので注意しましょう。
パンダはいないがイノシシならいっぱいいそうな砲台はココ
USA西部農業倉庫 [廃墟&近代化遺産]
USAと書いて・・・ゆーえすえーじゃありません。
宇佐です
(実際は中津市でした)
JR日豊線「今津駅」
昭和初期の駅舎
その駅舎も素敵なんですが
その駅のすぐ横で
僕の大好きな赤煉瓦の建物を見つけたよ。
倉庫だな。
蔦の葉が無いのと
ちょっと薄曇の天気が残念だけど
廃れ具合がとっても素敵です。
倉庫の前面を見ると
うっすらと「宇佐西部農業倉庫」って書いてる?
そういえば宇佐東部農業倉庫も
赤煉瓦倉庫だったのでセットみたいだ。
たまたま西部側を先に見つけてしまったけど
大正から昭和初期の倉庫っぽいですね。
屋根はまだ落ちてないけど
かなり痛んでいるようで
もう使ってないような感じです。
倉庫にくっついてる
扉は全部鉄製で
錆び具合がとっても良いよ
古い鉄って
塊感があって良いよね。
煉瓦と鉄の部分はまだ
しっかりしていますが木造部分は
もうガタガタです
台風で吹き飛んじゃうんじゃないかと
心配です。
どこからか中を覗きたいけど
扉はしっかり閉ざされています。
わずかな隙間から覗いてみるけど
真っ暗でした。
屋根がしっかりしてれば
まだまだ使えそうだけど
利用する事も無いんだろうね。
廃墟らしさと近代化遺産を
兼ね備えた素敵な倉庫でございました。
でも、マイナー度120%ですぜ。
たまたまJR日豊線のソニックに乗って大分へ行ってる時に
見つけました。
特急列車は止まりませんが高速通過中でも
廃墟センサーは反応します。
ということでこの倉庫はJR今津駅の横です。
ちなみにソニックからカワセミを3羽見つけました。
視力は0.1ですが動体視力は良いようです。