大原湖湖畔に残る小学校の玄関ポーチ [廃墟&近代化遺産]
山口県の徳地の山奥を走っています
どうです?
素敵な林道でしょう?
かなり山の中に入ったところで
今回の目的地である
大原湖へ到着!
寒そうでしょう?
行ったの冬だもん。
佐波川ダムなのですが
ダムに沈んだ大原村の名前を取って
大原湖とも呼ばれています。
その大原湖の上流部の湖畔に
それは立っていました。
はい、
これですケロ
もっと近くで見ましょうね
この廃墟が残る湖畔の周辺は
ふれあいパーク大原湖と言うキャンプ場が
併設されていて車を停めるスペースがあります。
いくつも並ぶケビンの前を通って
湖畔沿いへ
まだ寒いので
誰もいないけど夏場はカヌーなどで遊べるようだ。
そのキャンプ場で
この案内板を見つけました
佐波川通船と柚野小学校玄関ポーチ
先ほど見えていたのが
柚野小学校の玄関ポーチだ。
佐波川通船とはダムになる前の長州藩時代に
石材や材木を運ぶ船の通路の事で
今回はこれじゃなくてもう一つの玄関ポーチが目当てです。
このポツンと湖畔に水没ギリギリで立っているのが
当時の柚野小学校の玄関部分で
昭和31年の9月に完成した総貯水量2450万㎥のダムによって水没した
残骸です。
本来の小学校は昭和10年に大原村の
小学校として建てられたモダンな
建築だったらしい。
しかしこの佐波川ダムが作られることにより
昭和30年に更に上流部に移転して
このモダンな建物は玄関ポーチを残して水没するのである。
もちろん玄関ポーチ部分だけを移築した物だろうけど
とってもすばらしい建築だったと想像できますね。
それでは昭和30年に移動した
小学校はどんな風なのか
見に行って見ると
廃校になっとったよ
とっても元気な校門の絵なのに
廃校じゃった
校舎はモダンな校舎だった部分を何も
受け継いでない山村で良く見る
小学校みたいになっていました。
村があるときはそれなりに
学童がいたのでしょうが水没とともに
住民が居なくなって廃校になったのかもしれません。
誰も遊ばないので
遊具は錆び錆びです
この寂れた風景が
廃墟ハンティングなんだけど
学校系はちょっと寂い気分になるな。
現在の校庭はゲートボール場になっているようですが
校舎は当時のまま時間が止まってる感じです。
ここを出て行った子は
みんなたくましく大きく育ってるかな?
蛇口に掛ってる
ミカンネットが懐かしいです。
足を洗う洗い場があるのも
体育の時間は何時も裸足だった時代が
懐かしいね。
ノスタルジックな気分になれる学校跡でしたが
遺跡のように残る玄関ポーチもなかなか素敵でした。
白鳥がカモと同じ家畜レベルで餌をねだりにくる大原湖の
玄関ポーチはココ
亀山社中へ行く [廃墟&近代化遺産]
日本を今一度せんたくしたし申候事に、いてすべくことの神願にて候
九州人にとって
出身地の土佐よりも何故か長崎のイメージな
坂本龍馬
なによりも龍馬が
この長崎の土を踏んだときから
時代が動いたような気がするからだ。
(高知 桂浜の龍馬像)
土佐の桂浜の龍馬像には
挨拶したけどこの長崎の龍馬像に会うのは
実は初めて。
だって、めちゃ行きにくい所にあるんだもん。
有名な亀山社中へ行くのが今回の
目的なんだけどこの龍馬像はその亀山社中がある
風頭山の頂上付近にあります。
普通の観光なら下から
長崎名物の坂を登って亀山社中まで行くコースが
一般みたいですが坂がキツくて
中腹の亀山社中に着くまでに
体力が無くなってこの銅像までは
あまり来ないみたいなので
風頭山の上から攻めてみようと思ったら道が
迷路じゃった(汗)
「この先階段」の行き止まりの
洗礼を受けつつなんとか駐車場を見つけて
龍馬像に挨拶します。
所縁の地、2ヶ所制覇!
(横でなびいているのは海援隊の旗ぜよ~!)
(冬みたいな格好なのは時系列無視ぜよ~!)
この龍馬像の近くには
有名なあの写真を撮った
上野彦馬の墓がありました。
(撮ったのは土佐出身の弟子である井上俊三の説あり)
じゃ、亀山社中がある中腹まで
下りましょうか?
ねぇ、
山でしょう?
風頭公園から
少し下るとまだ山の上の方なのに
民家が建っています。
階段を何段も下りていくと
池内蔵さんが案内してくれました。
長州と一緒に戦ってくれてありがとう。
池内蔵さんの案内を過ぎると
龍馬通りになって
急坂になります。
路地だらけで
車が入れるような道は少ないです。
小さな龍馬さんを見ながら
下っていくと膝がガクガクしだします
有名な亀山社中が目的地なので
間違えないように案内板があるけど
そうじゃない場所だと
迷路になってるので迷いそうです。
しかも間違ったら全部こんな急坂なので
行き倒れになっちゃいそうです。
大変そうだなぁ~って
思いながら下っていくと
すれ違った地元の方は
ヒョイヒョイと登って行っちゃいます。
(スゲ~)
で、中腹まで下った所で
亀山社中に到着
長崎市が改修した建物ですが
元は日本初の商社です。
つまりカンパニーぜよ
慶応元年(1865年)に
坂本龍馬など後の海援隊達が立ち上げた
商社がこの亀山にありました。
建物の裏に行って見ると
井戸発見!
龍馬も飲んでいたのかなぁ?
海援隊が解隊された後に
一般人の民家になっていたそうなので
何時からあるのかは不明。
現在は資料館にもなってるいるため
300円/大人を払って中へ・・・
レプリカですが
家紋の組み合い角に桔梗の付いた
紋付が展示されています。
建物は思ったより小さくて
かなり手狭だったんじゃないかな?
そして撮影の出来る部屋には
この有名な写真が ↓
掛け軸となっていますが
何でカラーなん?
写真のリメイク技術を見せたかったのか?
では僕が元通りにしてあげましょう
こっちの方が良くない?
他に撮影して良い物は・・・・・?と
探すと龍馬のブーツ
・・・・と同タイプらしい
けどくるぶしのところが近代的な
伸縮生地じゃね?
これって何処かで見たな・・・
もっと探せば一緒のデザインがあったのではないかな?
と思う展示物でした。
隣の部屋には史料があって
龍馬大好きな僕はかなりじっくり見させていただきました。
高千穂峰に登った時の乙女ねーやんに送った
手紙が見れて良かったよ。
史料のある部屋は撮影禁止で
取り立てて建物も撮るような所がないので
普通に記念撮影なんかしちゃうぞ
手にしている刀は
もちろん陸奥守吉行だ。
しかし刀より時代はこっちぜよ
高杉さんに貰った
スミス&ウエッソンいうピストルじゃ
これ、京都の伏見で襲われた時に
失くすんだよ。
じっくりと亀山社中を見学したら
外に出て有名な龍馬のブーツへ
亀山社中から徒歩15秒くらいか?(笑)
じゃ、観光客に混じって
同じように・・・
指差す方向は
世界へ通じる海が・・・
と行きたいところですが
家ばかりでした
じゃ、戻りますか?
はい、降りた坂を登るんですよ。
下まで下ってタクシーで戻るという
作戦もあるんだけど
龍馬さんはこんな道を何度も降りたり登ったりしたと
考えると僕も頑張ります。
で、ナントカ無事に
風頭公園の頂上へ
長崎港が一望できて
あの岩崎弥太郎が作った三菱が見えるよ
巨大な造船所に囲まれた
長崎港だけど
昔から船がいっぱいだったんだね ↓
逆に今の方がすいてる?
好きだな・・・
長崎
龍馬が好きなら坂に負けずに行きましょう。
上から攻めるのも下から攻めるのも
貴方次第。
膝をガクガクさせなら行くならココ
[おまけ]
展示してた龍馬のブーツを見て
僕のバイク用のブーツを見たらソックリでした。
日本中を駆け巡ったからなのか
かなり疲れてしまった感じの僕のブーツ
皮の部分はメンテすればまだ使えるのですが
バイクに乗ってて
信号待ちなどでバイクを停めて足を下ろしたときに
小さな砂利などでズルッと滑って
「ギョエーー!!」と叫んだ事は無いですか?
「ギョエーー!!」と叫んだ後に
ブーツの底を見たら・・・
ツルツルやった・・・
もう龍馬さん、限界ですよ。
(ツーリング専用にブーツなのになんでこんなに減る?)
まだまだ日本を走り回って洗濯してもらわんと
いかんがじゃけ
これにし ↓
小曽根さんから安く仕入れました。
(本当に安かった)
バイクにのるぞ~!的なデザインが
いまいち好きじゃないけど
「ギョエーー!!」って叫びたくないので
とりあえず安心できそうです。
しかも今までより厚底です
バイクに乗ったままのヨチヨチ移動が
少し楽チンになりそうです。
多久に残るでっかいホッパー [廃墟&近代化遺産]
ハイキョ~!
どっからどう見ても廃墟です (ハートの使い方間違ってる?)
エレベータ付きのビルディングでございます
これは佐賀県の多久市に残る
三菱古賀山炭鉱の遺構なのですが
スクラップ工場の敷地内にあるので
入れません。
周りを見ると入れそうな下水道が・・・
恐らくこの下水は繋がってるのでしょうが
あきらめて外から誰か作業してる人がいないか
探すけど誰もいないので
外から見るだけで許してあげるとします。
他に何かないか周辺を見渡すと
炭鉱で栄えていた頃の建物がいくつか
残ってるようです。
洋館チックな古い建物を発見したけど・・・
近づくと
表だけしか残ってないやん。
シャッターがあるけど車を入れると
お尻が外へ出ちゃいそうな薄さです(笑)
その横には古い旅館の並びが・・・
(車邪魔! なんでそこに停めるか?)
営業はしていないようだけど
古さを考えると3階建ては当時としては
先ほどの洋館の表面だけの建物と並んで
モダンだったのでしょうね。
多久駅から近いので
炭鉱で栄えたころは繁華街だったんだろう。
今では廃屋みたいになっちゃってますが
その中の建物の基礎はこんな煉瓦を使っていました。
鉱山の精錬所から出るような煉瓦です。
もしかしたら焼き物の産地が廻りに多いので
その登り窯の耐火煉瓦かもしない。
旅館の並びからちょっと離れたところには
立派な門が残っています
これも炭鉱関連の豪邸でも
あったのかな?
外壁を残して
すっかり空き地になっていますが
この周辺も炭鉱の街らしい建物が
多いです。
炭住などでよく見る煤けた
木造の建物がたくさんあります。
では、先ほどのスクラップ工場の廃墟の横にあった
大きなホッパーを見ましょう。
旅館跡や門だけ残るところから
道を挟んだだけの位置にデッカイ
ホッパーが残ってるんだよ。
今まで沢山の炭鉱のホッパーの跡を見てきたけど
これはかなりデカイ方です。
ホッパーの後ろには先ほどの廃墟
ホッパーは石炭の積み出し施設なので
選炭などの工場か事務所みたいな機関
が入っていたのでしょう。
横にはJR唐津線が走っていて
当時はこのホッパーの下に引込み線が入っていたのでしょう。
少し離れたところに古賀山炭鉱の竪坑櫓が残っていて
それが大正6年で閉山が昭和43年ということなので
この施設も同じような年代の物だと思います。
久々に見る
炭鉱の大型物件でございました。
で、このホッパーから1kmほど離れた場所に
ここが炭鉱だったと実感できる地層を
発見したよ。
石炭層です
質の良い石はまだ深く掘らないと出ないでしょうが
炭田で良く目にする地層だよ。
岩石コレクションでも探そうと
地層を見てると
地層の端っこにしっかり案内板が立ってた
だって。
(ちゃんと読みましたか?)
佐賀県は長崎県に行くまでの
通過するだけの県ではな~いのだ。
素敵な遺構が残る多久市のタイムスリップエリアはココ
伊王島の先っちょへ行こう! [廃墟&近代化遺産]
前回の伊王島の馬込天主堂からの
つづき
今日は島の先っちょに行きますが
先っちょにあるべきコレを見に行くよ ↓
目指すのは
島の北西部の先端にある
伊王島灯台だ
この灯台までの道も
伊王島大橋が開通しちゃうと
週末は混雑して自由に行けないかもしれないので
船でフライングして上陸したのであります。
いくつかの船のルートがあるようですが
一番簡単な長崎港から出る高速船に乗りました
巨大な三菱の造船所を見ながら
女神大橋をくぐって港から出ます。
高速船と言うだけあって
すぐに着くので船に弱い人でも
大丈夫でしょう・・・(タブン)
桟橋の真正面にある
発着ターミナルの横にある
カフェでレンタル自転車をGET
今日はこの赤い奴が
相棒です。
石炭産業が衰退した伊王島は
こうしてリゾート地として
生まれ変わっています。
橋が開通すると
宿泊客はとっても来やすくなって
宿泊する人も増えるだろうな。
島は開通に合わせてオリーブの島にする方針のようで
オリーブの苗木を今日も植える作業をされていました。
そのリゾートホテルの横を抜けて
先へ進みましょう。
ホテルの先はしばらく平坦で
海も見れるので
気持ちが良いです。
こんなガラガラの道の風景も
見納めかも。
道の真ん中を堂々と走りながら
海を見るとカッコイイ信号灯が見える
灯台と同じく
これも大好きです。
ふと、地面を見ると
可愛いマンホールがありました。
どうです?
可愛いでしょう?
汚水ですケロ
更に海沿いを進むと
伊王島海水浴場がありました
当然、まだ寒いので誰もいませんが
とぉ~っても綺麗なビーチでした。
このビーチから
目指す岬方面を見ると・・・
あの岬かなぁ?
ズームして寄って見ると・・・ビヨォーーン
小さな灯台発見!
で、見つけたのは良いけど
結構登らないといけないを知ってしまったよ(汗)
変速機能を持たない赤い相棒は
とても乗ったまま登れないので
ほとんどの行程を押して歩くのであります。
(健康的だぞ)
先ほどの海水浴場が眼下に見えるゼ
ハァハァ
水の色の変わり方が変なので
人工のビーチかもね。
しばらくヒィヒィ言いながら
坂を登るとやっと平坦な道になりました。
素敵な並木の道ですが
この並木の裏が昔の
炭鉱跡です。
現在は石垣くらいしか残っていないので
スルーして先へ進むと
見えた~~~!!
会いたかった伊王島灯台です。
灯台の中でも
灯台に建ってて欲しいと思うような
理想的な風景の場所に建っててくれています。
背が低くて六角形なのが
めちゃ可愛いでしょう?
元は慶応2年に米・英・仏・蘭と交わされた
江戸条約により建てられた8基の灯台の一つだ。
最初に光を灯したのは
明治4年(1871年)で
作ったのは北九州の部埼灯台や山口県の
角島灯台を建てたイギリス人灯台技士である
リチャード・ヘンリー・ブラントン
しかし現在建っている灯台は
復元された物で
当時の基礎は灯台の裏に
残っていました。
当時も今のように六角形の灯台だったようだが
あの長崎に落ちた原爆の被害に会い
昭和29年に一度建て直されますが
その建て直された灯台は四角だったらしい。
そして平成15年に改築により
オリジナルの六角形の姿で復元されました。
毛が三本の頭から想像できないような
歴史を歩んでいる灯台なのだ。
その灯台の周辺でキョロキョロしていると
廃墟センサーが鳴った
あの丸い窪みは何だ?
砲台の跡かなぁ?
信号灯の跡?
何かの基礎には間違いないでしょう。
その岬からは
海が一望できます。
青が青より青く見える海
その青い海を航行する
海自
海の要所だって言うのが
頷けます。
灯台が建つ岬の一段下には
旧吏員退息所がありました。
橋が開通するのに合わせて
お色直し中で中には入れませんが
真っ白な可愛い建物が残っています。
塗りたてなので
真っ白シロです。
明治10年に建てられた
国内最古と言われる無筋コンクリートの建物で
昭和46年まで利用されていました。
現在は長崎市伊王島灯台記念館として
使われています。
周辺の案内板を見ると
灯台の周りに自生している植物も
キイレツチトリモチと言ってここが限地ということで
とっても貴重らしいよ。
こうして一通り見て来ましたが
最後にコレやっとく
帰りは早いぞ
なんたって下り坂を下りるだけだもん。
赤い相棒と分かれると
船が僕を迎えに来ました。
それでは
伊王島・・・
サヨナラ~~!!
ほとぼりが冷めた頃に
またバイクで行くからなぁ~~!!